今、死のうかなと思った。しかし明日パートの面接があることを思い出した。この1か月ほどいくつものパート先を求めて応募し、落ち続けている。

なぜ死にたくなるのか。死にたいのは私だけなのか。そうではない。みんな死にたい思いをどうにかやり過ごして生きている。私もこの30年、そうやって生きてきた。それは生きていなければならない理由があったからだ。生きている理由は何か。

・子供たちを育てなければならない

・親より先に死んではならない

・親友を悲しませてはならない

・自殺は少なからずの人々に迷惑をかける

こんなところか。このうち、子供たちはすでに育って私を必要とせず、親もまあ、1人はすでにこの世の人ではない。親友は今もなお大変な人生を生きているから彼女を置いて先に逃げるのは気が引ける。

迷惑は、まあ、迷惑かけるのは私だけじゃないからよかろうと思える。

次に、死ぬ前にやれることがあるのではないかと考えてみる。

・気分次第で私を圧殺する人間を殺す。

・気分次第で私を圧殺する人間から離れて暮らす。

・小説を書いて心の安定を求める。

殺すと、子供たちの人生に消えない傷をつけてしまうため、論外。

1人になるためには経済力がなく、難しい。親の世話を兼ねて実家に帰るのは可能性がある。

小説はもう書けない気がする。どんどん書けなくなっている。体の居場所だけでなく、心の置き場所もなくなりつつある。

以上をまとめると私は親友のため自殺はできない。1人になる少ない手段として実家に帰るべきと言えそうである。

年を重ねるのはつまらないことだ。良いことは特に起こらない。何かを生み出す力を失い、幻想は消えていく。死なない理由は減っていく。人間五十年とはよく言ったもので、確かに五十年くらいが限界なのかもしれない。